オマージュとパロディ

先日ファッションWEBマガジン「HOUYHNHNM(フイナム)」ブログエントリーに「真似とパクり。」という記事があった。
内容を簡単に説明すると、Supreme(シュプリーム)というストリートブランドの代表されるTシャツ「ボックスロゴT」をパクってる業者を参考例にし、パクりを否定。さらに、それを買う消費者までをも否定している内容だった。

この記事の中に、明らかな間違いがある。メディア媒体のWEBマガジンのブログで間違いを拡散するのは危険だと思ったので、この記事を書く事にした。

そもそもSupreme(シュプリーム)がオリジナルではない

supreme logo

supremeボックスロゴ

バーバラ・クルーガー

barbara kruger your body is a battleground
(出典 上:p1.pichost.me 下:fineartkingston.co.uk)


まず言いたいのは、そもそもシュプリームのボックスロゴは、オリジナルではなくパクりということだ。
シュプリームのボックスロゴは、バーバラ・クルーガーというアーティストの作品を(筆者の中の定義でいうと)パクったものだ。

この事実を無視しているのは、筆者が確信犯の嘘つきか、本気で無知かのどちらかだ。
シュプリームを参考にした時点で「この記事は間違いです」と言っているようなものなので、何かを否定すればすべてブーメランのように自分自身の否定に繋がってしまっている。


(出典sugiura.blog.houyhnhnm.jp)


また、

ボックスロゴの文字だけ変えて作るのはその『真似』の質が違う。そこには何一つオリジナリティが無いのだ。

と書いているように、筆者が言うには違う要素を加えればオリジナリティになるらしい。
ちなみにバーバラ・クルーガーの作品は、フォントにFuturaを使用している。Supremeも同じフォントを使っているのだが、ブログで参考例として使っている画像の「a」のフォントは少なくともFuturaではない。筆者の真似とパクリの定義上だと、参考例のTシャツが「真似」で、supremeが「パクリ」となってしまう。

バーバラ・クルーガー /Barbara Kruger

バーバラ・クルーガー

ボックスロゴの元ネタのバーバラ・クルーガーは1945年アメリカ生まれの女性で反商業主義者のコンセプチュアル・アーティスト。広告のコピー・ライターの後、アーティストに転向した。アプロプリエーション(…盗用芸術。「流用」や「私有化」など、「コラージュ」より過激で「オリジナリティ」を絶対視する近代芸術観への嘲笑、皮肉する技法)したモノクロの写真を背景に、「怒り・攻撃的」など強いエネルギーや、目立たせる特性がある「赤色」のボックスの中に言葉を加えたシンプルなデザインにする事で強烈なメッセージ性をもたせた作品が特徴。

大量生産・大量消費の現代社会であらゆるイメージが記号化され「オリジナル」と「コピー」の境界線が曖昧になる中、既存の作品から素材や表現を盗用・借用して作者なりの新しい見せ方を生み出そうとした美術運動「シミュレーショニズム」の第一人者。


BarbaraKruger_IshopThereforeIam_

「無題(i shop therefore i am)」は、哲学者デカルトの命題「我思う、ゆえに我あり(I think, therefore I am.)」のパロディで、「我買う、ゆえに我あり」という意味。そしてその言葉がクレジットカードを持った手の中にある。
借金までして買うことこそが現代のアイデンティティという大量生産・大量消費社会を、その大量生産・大量消費社会により誕生した技術を使い、豪快に皮肉・嘲笑した爽快な作品。これがsupremeの元ネタ作品なのである。


シュプリーム /Supremeと商業主義

Supremeは、1994年にスタートしたニューヨーク発のストリートファッションブランド。スケートカルチャーからはじまった。カウンターカルチャーのヒップホップ、パンクロックなどの有名アーティストとコラボレーションしていたり、サンプリングなどしている。ストリートファッションは、ファッションデザイナーや企業が主導ではなく若者などの消費者よりカルチャーから発生したものなので、反骨精神バリバリのバーバラ・クルーガーの理念に共感と敬意しボックスロゴを取り入れたのではないだろうか。もちろん単純にデザインがシンプルでクールという事もあるだろうが、意思としてはパロディではなく、リスペクトを込めたオマージュなのだと思う。

上記のとおり、シュプリームはファッションデザイナーやアパレル企業がつくりだすファッションから、街中にたむろする若者たちに向けた、商業よりカルチャーを重んじたストリートブランドだ。
そんなシュプリームが2010年に、過激なシュプリームのパロディブランドを買収した。また、それとは違う、ボックスロゴのパロディTシャツをつくったブランドを著作権侵害で訴えた。訴えられた側は「言論の自由」と反論。
このやり取りを、シュプリームのパクりを黙認し続けているバーバラ・クルーガーは

What a ridiculous clusterfuck of totally uncool jokers. I make my work about this kind of sadly foolish farce. I’m waiting for all of them to sue me for copyright infringement.
(なんてまったく野暮な冗談を言う馬鹿げたクソッタレな奴らなのだろう。わたしはこの種のひどくばかばかしい茶番につきあわされている。著作権侵害でわたしを訴えるすべてのものをわたしは待っている。)

とコメントした。クールだ。本末転倒の裁判を起こし、これでキッズに味方のストリートブランドのシュプリームが金儲け第一の商業主義ブランドと認知されてしまった。

ただ、そんなバーバラクルーガーもユニクロとコラボしたりで、なんだか色々と感慨深い。

ボックスロゴに著作権はあるのか

music_lf
そもそも赤いボックスに白抜き文字のデザインに権利なんてつくれるものなのか。ボックスロゴなんてものはオーソドックスで誰でも考えれる普遍的なデザインだ。色を多い面積で使えるように四角く背景をつくり、一番目立つ色の赤を使用すればボックスロゴの完成。雑誌のLIFEもアニメのMarvelもバイクのapriliaもそしてundetrozeの「music is magic」Tシャツもみんなパクりになってしまう。

box_logo
上から「LIFE」「Marvel」「aprilia」

ボックスロゴそのもののデザインだけではアイデンティティを埋め込むのは無理がある。



真似とパクりとオマージュとパロディ

筆者は「真似とパクり」について書いているのだが、両者の違いや定義がいまいちわからない。

わかりやすく言うと、有名人を徹底的に研究し、ある特徴を大袈裟に誇張したりして客を笑かせたり感動させるモノマネ芸人は『真似』で、アンジャッシュのコントを許可無しにそのまま母国語に変えて自分の国でやってしまうコメディアンが『パクり』。


と書いてあるが、わかやすくと書いてあるわりに全然わからない。モノマネ芸人の中には許可無しにおこなっている人もいるだろうし、本人が不快に思うレベルに茶化している人もいるだろうし、徹底的には研究していない人もいると思う。それに母国語に翻訳する作業の中にオリジナリティは本当に存在しないものなのか。そもそも人を模倣するのは名誉毀損で、ネタを模倣するのは著作権侵害なので、両者は対称になるのか怪しい。
しかしまあなんとなく言いたかった事はわかる。おそらく元ネタに敬意を払ってるか否かを言いたいのだと思う。
それならば、「真似」はフランス語で尊敬や敬意を意味する「オマージュ」と書いてほしい。その方がよっぽどわかりやすい。

もう一つ、「パロディ」という概念について。
パロディは比喩や風刺、批判する目的を持って模倣した作品あるいは手法の事なのだが、記事の中にパロディは登場してこない。模倣をテーマにする時の非常に重要なワードなのだが、なぜパロディを出さないのだろう。パロディとパクリを混同しているのだろうか。

筆者はオマージュとパロディについて書きたかったのではないだろうか。単に知識が乏しく、伝え方が拙かっただけではないだろうか。


簡単な問題ではない

スヌーピー スウェット 89668839_th
記事の内容的に、ブランド側は同意してくれると思っていると感じる。だがこの問題は簡単に答えが出るような事ではない。
パロディもオマージュも第三者によって度合いが変わったり、数値化もできず、境界線も曖昧になり、割合は違えど両方に含まれるケースもある。上記で説明したバーバラ・クルーガーの無題(i shop therefore i am)は、哲学者デカルトの言葉は自身は敬意を込めたオマージュ、現代社会のフィルターを通すと消費者を皮肉したパロディになるので、オマージュもパロディも含まれる。調べてもでてこなかったが、背景のモノクロの写真が流用なら、そこにパクりも含まれる。

それこそ大量生産/大量消費社会が到来してからポップアートが誕生し、現代アーティストらが何十年も前からこの問題を作品を通して必死に問題提起しているのだ。
自分の誕生日にちょちょいと書いて済ませられるような問題ではない。

undetrozeだってそうだ。先日、PISTATIOという作品を出した。これは、スヌーピーなどで有名なピーナッツシリーズのTシャツが、様々なブランドでパロディ化されている、そんなパロディに対して、パロディで風刺した作品がPISTATIOだ。

ピーナッツぽいイラスト、上下ラインの中のセリフフォントのワードという構図デザインでパロディが完成するが、イラスト部分をミニマルにし、全体を見返すとピーナッツのパロディとわからないデザインにした。成立してしまったら他のパロディブランドと同じになってしまう。こうして「パロディとして成立してないパロディ」が出来上がった。

おわりに

ボックスロゴはsupremeがオリジナルじゃないって事と、オマージュ、パロディの問題は根深いという事を伝えたかっただけなので、他にも突っ込みたいところが多々あったけどそれは個人の思想として触れないでおきます。長文になってしまったし何よりヘイトな部分もあってすみません。